断食明けて その後

本日で 明けて六日目。 おだやかで 平和そのものの この春の訪れのような
日々の中で あらためて 食べ物を頂く事の深さを 感じさせて頂く。
Nさんに教えていただいた 食前 食後の 感謝の言葉が いつのまにか
形骸化していたよね・・・・と反省したり・・・・・。

朝は 紅茶と一かけのチーズ 昼は御つゆをひかえた麺類 御つゆ茶碗に
八分目と生野菜 夜は今日から七分つき米 二分の一膳と御野菜の煮付け
ししやもさん一尾 それでも 幸せな満腹感・・・! ゆっくり何度もかみしめて
いただくと なにもかも その旨味が口の中一杯に広がって 美味しい・・・!!
この慎ましい御食事に つきあってくれる背の君様! 「体が軽うなってええわ」と
きゅうり 人参 大根のスティックを 自家製練り味噌につけて ぽりぽり 気持ちよい
音をたてて食べてくれている。 (おおきに・・・おとうさん・・・と胸の中で言う私)

様々の講演会含めて 参加したり 体験することは誰でもできるものではない。 
外に出る機会の多い立場だからこそ 参加させて頂ける 又 留守を守って
下さる人達がいてくれてこそ出ていけること そのうえ自分の足で歩ける 
見える 聞こえる 話せる・・・ この頂いている健康・・・つくづく有り難いことだと思う。
正直 人よりは沢山頂くほうだった。 おそらく前世があったら私はいつも 飢えに
苦しんでいたのではないだろうかと思っていたほどだ。

かつて子育ての時も 子供たちの残した物は 勿体無いからと 全部お腹に
収納していたし 食べ物への執着は 相当な物だったと思う。 但し 珍味や銘柄品を
追っかけるのではなく 満腹感の追求という 非常にレベルの低い時点にとどまっていた。
昨今の健康診断でも 度々身長と体重との和に欠けていて 今様メタボ症候群名誉候補生
だったのではないだろうか。

いつも思い出すことがある。 戦後のひもじさをしょっちゅうかかえて育った記憶の中で
母の大切にしていた婦人雑誌の表紙絵に ボールに溢れるばかりの卵を一杯積み上げて
胸に抱えた婦人の笑顔・・・・こんなに沢山卵が食べられるおうちってあるんだろうか・・・
よほどにいつもあこがれていたらしく 家庭に入って 当時はスーパーなどはなく もよりの
市場の食料品店で 卵を10個も新聞紙に包んでもらって 買って帰ったときの嬉しさ・・・
断食に行くまで つまりつい最近まで 一番の好物は 炊き立てのごはんになま卵をかける
例のタマゴご飯という単純さ。

思えば思うほどに この今の満ち足りた衣 食 住 何よりもこの平和さ・・・・
当たり前のように 日は明け 日は暮れていくけれども これが永遠ではないのは
確かだけれど 今を生かしていただいていることへの有り難さを 感じさせていただける事
それこそが最高の幸せなのでは・・・・今拝読中の町田先生の数々の御本も
青山先生の御本も 神渡先生の御本も 小林正観さんの御本も その他その他・・・・
今を在る事(食べることも 動く事も 眠る事も あらゆること含め)を感謝できることへの
導きのように思うのだけれど・・・・。 それこそ幾つもの春夏秋冬を 通らせて頂いた
今だからこそ ひしひしと感じる事なのかもしれない。 娘達によく言ったことだけれど
時間は決して無駄には過ぎないようになっている。 今までがあったから 今がある。
無駄は一つも無い。 失敗と思えることさえも 栄養の一つ。 何の栄養?
それは 命の大河の中の 私と言う一滴の でもかけがえのない魂の栄養。
様々の出会い それぞれのご縁 有り難いことと思う。

 
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by dmm8649 | 2008-03-26 22:33